選手やコーチが戦う“ピッチの中”だけが勝敗を決めているわけではありません。ピッチ外では、相手の癖を見抜き、味方の強みを最大化し、次の一手を準備する「アナリスト」の仕事が静かに効いています。本記事では、サッカーアナリストの仕事内容、現場で使われる戦術分析術、データや映像の扱い方、そして明日から実践できるワークフローまで、実例ベースで丁寧に解説します。専門用語はできるだけ平易に、現場で使える形に落とし込んでお届けします。
目次
導入:なぜ今アナリストがチームの勝敗を左右するのか
役割の進化と普及の背景
かつてはコーチが兼任していた「相手分析」や「映像編集」。今は専任のアナリストが置かれるチームが増えています。背景には、映像とデータの入手が容易になったこと、そして戦術が高度化したことがあります。相手のビルドアップの出しどころや、セットプレーの規則性を事前に把握できれば、試合はもっと“準備の勝負”になります。
アナリストの価値は「見えにくい現象に”名前”を付け、判断材料を増やすこと」。数字と映像を橋渡しし、ピッチ内の意思決定を速くシンプルにする役割です。
育成年代からトップまでのニーズの違い
トップでは、相手の細部までの対策や、短時間での説得力ある提案が求められます。育成年代では、選手の学習と再現性の育成が中心。勝敗以上に「原則の理解」や「個人の伸び」を可視化することが重要です。同じ分析でも、伝え方や優先順位は年代や文脈で変わります。
「戦術理解×データ×映像」の相乗効果
戦術理解は“どこを見るか”を決め、データは“傾向を裏付け”、映像は“説得力を持って共有”します。どれか1つでは片手落ち。3つを統合して、監督が意思決定しやすい形にすることが勝負所。現場で効く分析は「難しい言葉で賢く見せる」ことではなく、「行動につながる1枚のスライド」と「5分の映像」に凝縮されます。
サッカーアナリストの仕事内容(全体像)
試合前・試合中・試合後の3局面
- 試合前:相手スカウティング、自チームの状態分析、ゲームプランの提案、トレーニング設計への反映
- 試合中:ライブ分析(相手の初手、噛み合わせ、トレンド)、ハーフタイムブリーフィング用素材の抽出、ベンチとの連絡
- 試合後:レビュー(データ+映像)、学習ログの更新、次節の仮説作り
日々のルーティンと納品物
- 映像剪出(クリッピング)とタグ付け
- 試合前レポート(相手の特徴、セットプレー、キープレーヤー)
- ハイライトクリップ(チーム・ポジション・個人別)
- KPIダッシュボード(チーム/個人)
- 練習設計メモ(目的・制約・評価軸)
チーム内での立ち位置と関係者との連携
アナリストは“参謀役”。監督・コーチの意図を理解し、GKコーチやフィジカルコーチ、メディカルとも情報を共有。指示命令系統を明確にし、報告の頻度とフォーマットを統一すると、チームは機能します。
現場で使われる主な分析領域
戦術分析:攻守・トランジション・セットプレー
攻撃は「幅・深さ・レーン占有」、守備は「圧力の方向・ライン間管理」、トランジションは「奪った直後/失った直後の原則」、セットプレーは「規則性と再現性」を押さえます。これらをチームのゲームモデルに沿って測り、改善点に優先順位を付けます。
相手チームのスカウティング
ビルドアップの初手、プレス耐性、トランジションの弱点、セットプレーの型、交代の傾向など。反復される“癖”に注目し、対策の選択肢を提示します。
自チームのパフォーマンス分析
結果だけでなく、プロセスの一貫性を確認。良い敗戦、悪い勝利を見極めるために、機会(xGや進入回数)とリスク(失点期待、被進入)を並べて見ます。
個人・ポジション別評価
役割に対する貢献で評価します。例:SBなら“幅の確保・内外の使い分け・背後走りの頻度・抑止力(相手WGの前進阻止)”など。ポジションごとに“見るポイント”を事前定義しておきます。
具体的ワークフローと週次タイムライン
データ収集→仮説設定→検証→提案の循環
- 収集:直近3~5試合の映像と主要データを確保
- 仮説:相手の攻略法/弱点、自チームの強みの当て方を言語化
- 検証:クリップと数字で裏取り(反例も確認)
- 提案:主張・根拠・行動に分け、トレーニング案まで提示
相手分析とトレーニング設計の連動
分析は“練習メニュー”に落ちて初めて価値を持ちます。例えば「相手の2トップが外切りプレス」なら、CB→IHの縦パス角度練習や、SB内側立ち位置のビルドアップをドリル化。数値KPI(前進回数、背後侵入数)で効果をチェックします。
マッチデーのオペレーションとロール分担
- ベンチ:ベンチ担当コーチに30~60秒で伝える要点を整理
- スタンド:全体構造を俯瞰し、噛み合わせのズレを検出
- HT準備:3クリップ+1枚図解(口頭でもOK)+1つの修正アクション
分析に使うデータと主要KPI
チームKPI:xG・PPDA・フィールドTiltなど
- xG(期待得点):シュートの質から得点確率を推定した指標
- PPDA:相手のパス数に対する自チームの守備アクション数。低いほどハイプレス傾向
- フィールドTilt:相手陣でのボール保持や攻撃サードでのパス比率。攻撃の主導権を示す目安
攻撃指標:ファイナルサード進入・スイッチ回数・クロス質
- 進入:サード進入回数と方法(中央/ハーフスペース/外)
- スイッチ:逆サイド展開で相手ブロックを揺さぶれた回数
- クロス質:クロスの到達エリアと受け手人数、シュート転化率
守備指標:ライン間侵入抑制・プレス成功率・回収位置
- ライン間侵入:相手IHやFWに“前向き”で受けられた回数
- プレス成功率:狙ったトリガーで前進阻止や奪取に至った割合
- 回収位置:ボール奪取の平均地点(自陣/中盤/相手陣)
セットプレーKPI:得点期待値・二次攻撃回収率
- SP xG:CK・FKからの期待得点
- 二次回収:クリア後のこぼれ球を回収し再攻撃につなげた割合
動画分析のコアスキル
クリッピングとタグ設計の基本
“何のためのクリップか”を先に決めます。プレーの始点と終点、意思決定の瞬間を丁寧に抜き出し、重複は避ける。タグは「フェーズ(攻撃/守備/トラ)×ゾーン×結果」で最小構成から。
コードブック(タグ体系)の作り方
- 目的:何を評価し、何をやめるか
- 構造:チーム共通タグ+ポジション特有タグ
- 運用:更新ルール(新タグは検証期間を設ける)
5分で伝わる編集とストーリーボード
原則は「冒頭に結論、3~5クリップ、テロップは最小」。比較(良し/悪し)と再現(練習へ)の順で並べると浸透します。
ポジション別プレーリストの構築
SB、IH、CFなど、各ポジションで“お手本クリップ”を蓄積。新人や若手の立ち上げが速くなり、共通言語が育ちます。
戦術分析のフレームワーク
フェーズ別整理:攻撃/守備/トランジション
攻撃は「ビルドアップ→前進→フィニッシュ」、守備は「遅らせ→奪う→守る」、トランジションは「攻→守」「守→攻」で分解。フェーズごとに“狙う現象”を明確化します。
ストラクチャー分析:幅・深さ・レーン占有
幅はサイド、深さは背後、レーンは縦の通り道。3つのバランスが悪いと、相手は守りやすくなります。計測は「保持者の選択肢数」「相手の最終ラインの動揺」で見ると実用的です。
原則から行動へ:意図→手段→実行の分解
例:「IHを釣ってハーフスペースを使う(意図)→SB内側立ち位置とCFの奥行き(手段)→3人目の関与で前進(実行)」。この分解を映像で示すと、練習へ落とし込みやすいです。
プレスの噛み合わせとビルドアップの相性診断
相手の枚数と立ち位置に対し、こちらが数的優位・角度優位・位置的優位をどこで作れるか。相性が悪いと感じたら、初手を変える(GK利用、偽SB、ロングターゲットなど)選択肢を整理します。
相手チームスカウティングの勘所
ビルドアップの初手とプレッシャー耐性
- 初手:CB→SBか、CB→IHか、GK絡めるか
- 耐性:背中向き受けの上手い選手、1stプレスの剥がし方
- 回避策:ロングで逃げる頻度と的
キープレーヤーの傾向と封じ方の選択肢
どこでボールを持つと脅威か、利き足、ターンの方向、プレストリガーでの反応。封じ方は「時間を奪う」「受けさせても限定」「ライン間を閉じる」など複数案を。
セットプレーの規則性・配置・再現性
キッカーの軌道、ニア/ファーの狙い、スクリーンの使い方、リスタートの速さ。再現性の高いパターンは必ず対策を。
試合プラン(ゲームモデル)への落とし込み
「奪いどころ」「前進手段」「背後への脅し」「SP対策」を1ページに。練習メニューとセットで提示すると共有が早いです。
現場で効く提案の作り方
主張・根拠・行動の3点セット
主張(何をするか)→根拠(数字と映像)→行動(トレーニングと試合での合図)。この順で簡潔に。
数字の裏付けと映像の一体化
数字は“方向性”、映像は“現場の納得”。相反する例も1つ入れて、過信を避けます。
代替案(プランB/C)の準備と条件提示
「相手が3バックに可変したら」「風雨でロングの精度が落ちたら」など、条件付きでプランB/Cを用意。切り替えサインも共有します。
監督・コーチとの合意形成プロセス
初期段階で“成功の定義”を握ることが肝心。「今日は前進回数>支配率」など、評価軸を統一します。
トレーニングへの落とし込み
分析→トレーニングドリル化の手順
- 狙う現象の特定(例:IHの背中で受ける)
- 制約設定(接触回数、タッチ数、ゾーン限定)
- 評価指標(成功定義)を明文化
制約付きゲームでの原則の再現
人数とスペースを絞ったゲームで“原則”を繰り返す。制約は徐々に外して試合に近づけます。
KPI連動の評価シートとフィードバック
練習後すぐに、簡易シート(例:前進15回中10回成功、背後侵入7回)でフィードバック。週次で推移を追い、学習ログに残します。
試合中のライブ分析
リアルタイムで観るサインと最低限の指標
- 噛み合わせ:数的優位が生まれているラインはどこか
- 初手:相手の前進手段とトリガー
- 自チームの前進/阻止の成功率(ざっくりでOK)
ハーフタイムで伝えるべき3事項
- 最大のズレ(1つ)
- 修正アクション(1つ)
- 期待効果(1つ)
素材は3クリップ以内。言葉は短く、役割と行動を明確にします。
ベンチとのコミュニケーションプロトコル
連絡手段、タイミング、優先度を事前に取り決めます。緊急(守備の穴)、重要(相手の可変)、参考(交代候補の傾向)の3段階に分けると混乱しません。
試合後レビューと継続的改善
24/48/72時間のレビュー設計
- 24h:速報レポート(主要KPIと大枠の所感)
- 48h:詳細レビュー(映像+数字、ポジション別)
- 72h:次節仮説の叩き台
ラーニングログと知識の蓄積
「何が効いたか」「なぜ効かなかったか」を短文で蓄積。タグと紐づけ、次の準備時間を短縮します。
次節への仮説更新と重点テーマ選定
前節の反省を“そのまま次節へ”は危険。相手特性に合わせて、重点を2つに絞ります。
使用ツールと環境構築
データ提供の種類と選び方の基準
- イベントデータ(パス、シュートなどの記録)
- トラッキング/ボディデータ(位置情報、走行など)
- 選定基準:精度、更新スピード、現場での使いやすさ、コスト
低予算で始める分析環境の作り方
- 映像:撮影+無料編集ソフト、スローモーション再生
- タグ:スプレッドシートで簡易タグ管理
- 共有:クラウドストレージ+ショートクリップ
自動化・テンプレート化で時間を捻出
定型レポートはテンプレ化。ファイル命名、フォルダ構成、色使いも統一して検索時間を削減します。
必要なスキルセットと学び方
戦術理解と観察眼の養成
1試合で「狙いのクリップを10本」集める練習を。見る場所を決めると、観察眼は速く伸びます。
データリテラシー(統計・可視化の基礎)
平均・分散・相関の基本と、サンプルサイズの考え方は必須。グラフは“1枚1メッセージ”を徹底します。
映像編集力とプレゼンテーション術
5分以内、音声なしでも伝わる編集。冒頭に結論、最後に行動の再提示で締めるのが鉄則です。
英語資料・論文の読み解き方
要旨→図表→結論の順で速読。現場適用の要点だけメモに落とし込みます。
キャリアパスと仕事のリアル
入り口とポートフォリオ作成のコツ
試合分析レポートとクリップ集を“公開可能範囲”で整備。仮説→提案→成果の流れが見えると評価されやすいです。
現場で評価されるアウトプットとは
“再現性のある提案”と“試合に直結する修正”。難解な資料より、行動に変わる1枚が価値を生みます。
倫理・情報管理・守秘の重要性
素材の扱い、共有範囲、選手の個人情報は厳格に。信頼は最重要の資産です。
よくある落とし穴と対応策
データ過信と文脈の欠落
数字は状況次第で意味が変わります。相手、天候、スコア状況を必ず添えること。
サンプルサイズとバイアスの罠
1~2試合の傾向は偶然の可能性。反例チェックと“保留”の勇気を。
伝達量の過剰/過少による機能不全
多すぎる情報は行動を鈍らせ、少なすぎる情報は誤解を生む。HTは3点まで、週次レビューは5点以内など上限設定を。
KPIの目的化を避けるチェックポイント
数字は手段。KPI達成が目的化していないか、月次で“仮説とリンクしているか”を再確認します。
高校・ユース年代への実装ヒント
リソース制約下での優先順位設計
まずは映像と簡易KPI(進入・背後・回収位置)の3本柱に絞る。試合前の相手分析は「初手とSP」だけでも効果的です。
保護者・選手への伝え方と合意形成
専門用語は使いすぎない。1枚の図と3クリップで「何を目指すか」を共有します。
学業と両立する運用と役割分担
撮影・タグ・レポートを役割分担。提出期限とフォーマットを固定して、学業との両立を図ります。
チェックリストとテンプレ案
試合前チェックリスト(相手・自チーム・設営)
- 相手:初手、キープレーヤー、SPパターン、交代傾向
- 自チーム:前進手段、プレス狙い、SP準備
- 設営:撮影位置、通信環境、HT素材抽出計画
ハーフタイム用メモテンプレート
1. 最大のズレ:
2. 修正アクション(誰が/どこで/いつ):
3. 期待効果:
クリップ番号:
試合後レポートの雛形と共有手順
表紙(スコア・xG・主なKPI)→チームレビュー→ポジション別→個人→SP→次節課題。クラウドに保存し、共有リンク+要点箇条書きで配信します。
まとめ:明日から現場で使える一歩
最小構成で始める分析パッケージ
- 映像3本:良い前進/悪い前進/SP
- KPI3つ:進入、回収位置、プレス成功
- 提案1枚:主張・根拠・行動
再現性のある改善サイクルの確立
収集→仮説→検証→提案→練習→試合→レビュー→更新。週次で回し、ログを残す。小さい前進を“見える化”することでチームは強くなります。
次の一手:学習とネットワーク構築
他チームのアナリストやコーチと情報交換を。現場の課題は皆似ています。学び合いが最短距離です。
主要用語の簡易用語集
xG/PPDA/フィールドTiltの概要
- xG(期待得点):シュートの質から得点確率を推定
- PPDA:相手のパス数1本あたりの自チーム守備アクション数
- フィールドTilt:相手陣での攻撃関与(主に攻撃サードでのパス比率)
ゾーン定義・レーン・ハーフスペース
ゾーンはピッチの区分、レーンは縦の通り道。ハーフスペースはサイドと中央の間の縦レーンで、前進の好ポイントです。
プレストリガー・ライン間・スイッチ
- プレストリガー:プレスを開始する合図(背向きトラップ等)
- ライン間:相手の中盤と最終ラインの間
- スイッチ:逆サイドへ展開してブロックを揺さぶること
